藻のお暇

アラサー無職の日常

#この1年の変化

 お題「#この1年の変化」

 

 この1年は、無職への道①〈退職報告編〉で書いた通り、新卒入社した会社を退職するという節目の年になりました。また、人生の価値観が変化した節目にもなりました。その変化とは、「仕事より恋愛をとることを恥ずかしく思わなくなった」ことです。

  私は「仕事も恋愛も両立するのが自分のあるべき姿」だと思っていました。また、恋愛は仕事よりも不確定要素が多く、「恋愛に人生を賭けるのは賢明な判断ではない」とも思っていました。そのため、彼氏の転勤についていくために仕事を辞めることは賢明な判断と思えなかったし、そういう“賢明ではない判断をする人だ”と周囲に思われること・心配されることも嫌でした。(今思えば自分の生きていた世界が狭かったなと思います。必ずしもそう思う人だけではないはずなのに…。また、単に1つの会社を辞めるだけの話と捉えることも、今ならできます...。)

 しかし、新型コロナや彼氏の転勤の影響で、中距離恋愛で月に1回の頻度で会っていた関係がより疎遠になり、今後関係性が薄れてしまうかもしれないという不安から、「自分にとって本当に大切なことはなんだ」という問いが頭の中でぐるぐるするようになりました。

  自分にとって大切なのは仕事なのか恋愛なのか…。どちらかといえば仕事を優先してきたけれど、もしかしたらこのタイミングで恋愛を失うかもしれない…。ただし、ついていって別れたら、その時は両方失うことになる...。そうなったら周りの人からどう思われるだろう...。自分は間違っていたと後悔することになるのだろうか…。周囲から大丈夫?と心配されることもありました。それでも私は彼氏についていくことにしました。

 今でも「仕事も恋愛も両立したい」気持ちに変わりはありません。ただ彼氏の転勤を機に、自分にとって大切なものはなにか考える中で、「仕事と恋愛に優劣をつけなくてもいい」、「仕事を優先することだけが人生において賢明な判断ではない」ということに気づけました。「仕事も恋愛も、好きなことという点で同じことだ」、「自分の基準が妥当かどうか疑ってみることも大事だ」と思えるようになりました。

 周りの友達の決断にも大きな影響を受けました。20代後半になり、結婚した友達、出産した友達、長年交際している彼氏がいる友達、仕事や趣味を楽しんでいる友達...。それぞれがそれぞれの決断をしているけれど、自分の基準で測ったら、当てはまる人は限られてしまう。それでは、当てはまらなかったらその友達は間違っているのか? 答えは明白でした。それぞれが自分の人生に賢明な判断を下している。自分の基準が妥当ではないと気づけました。

 私は私の好きなことをするために生きていて、自分の想定とは違ってもそれはそれでいい。自分を否定しなくてもいい。今回彼氏と暮らすことも、趣味などと同様に自分の好きなことの一部に過ぎない。恋愛を優先することも生きていく上で賢明な判断だと言える。そう自分を肯定できたことが嬉しかったです。

 以上が、この1年の私の変化でした。逃げ恥のドラマでも「呪い」という言葉が出てきますが、自分でも気づいていない呪いにかかっているものだなと、今回の経験を経て気づきました。「こうしたい!」「こうなりたい!」という理想は、「こうあるべき」という呪いにもなり得ることに気づけました。今後も仕事や恋愛以外にも、自分にかかっている呪いに気づくことがあるのだと思います。その度に、何層にも重なった布を一枚ずつめくるように、「自分にとって本当に大切なこと」を見つけていきたいと思います。

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。