藻のお暇

27歳無職のLifelog

その日書いたのは、キャッチコピーではなく弔辞だった。

祖母が亡くなった

8月25日、朝早くに母から電話がかかってきた。3週間前に入院していた祖母が昨晩亡くなったとのこと。今夜の通夜に参列するために、荷物をまとめて彼氏の出勤の前に家を出た。

葬儀屋

祖母の家に着くと、父をはじめ伯母たちが葬儀屋と話し合っていた。その脇を通り、仏壇前に横たわる祖母の顔を覗き見る。肌には艶があり、寝ているように見えた。一見昨晩息を引き取ったとは思えなかったが、少し不自然に組み合わされた両手を見て、ああ本当に亡くなったのだと実感した。

父と伯母たちが葬儀屋と話す中で、弔辞が話題に上がった。祖母には私と兄を含め6人の孫がいるが、長く一緒に暮らしてきた私と兄が代表で弔辞を読むかどうかの話だった。父から話を持ち掛けられた時は曖昧な返事しかできなかったが、兄が読むことにしたため、私が席を外している間に私も読むことに決まっていた。

通夜の晩

葬儀の段取りが決まり、喪服に着替えて葬儀場に向かう。通夜の後帰宅が遅くなり、弔辞のことを思い出したのは日が変わる前だった。慌てて家の中を探し、A4のコピー用紙と白い封筒を集めた。

紙に向かってペンを持ち、今日はコピーライター養成講座の日だったことを思い出す。先日初回の講義を受けたばかりだった。次の講義を楽しみにしていて、講師の著書も読んで準備していた。祖母の訃報を知った時も、今日は講座の日なのにと考えてしまう自分を不謹慎だと思った。

今日はキャッチコピーを書くはずだったが、今から弔辞を書こうとしている。どんなキャッチコピーを書いていたか、参加できなかったからその時は知る由もなかったが、誰かに何かを伝えるために言葉を考えることに変わりはない。これも何かの運命だったと思った。

弔辞には祖母との文通について書いた。大学進学のために実家を出てから始めた祖母との文通。就職して地元に帰ってきてからも、一人暮らしのアパートから手紙を送った。仕事を辞めて彼氏のアパートに引っ越してからも。実家に残していた荷物の中から祖母の手紙を集めて読み返すと、今でも祖母が話しかけているような気持ちになった。出来上がった弔辞を声に出して読んでみると、涙で変な声になっていた。書き終えて眠りについたのは午前3時になる頃だった。

葬式当日

葬式で参列者の焼香が終わると、司会のアナウンスで兄と私は席を立った。兄と並んで遺影の前に立つ。入院する少し前に、認知症気味でもあった祖母に名前を忘れられたことを兄が涙ながらに話すと、後ろの席からもすすり泣く声が聞こえた。

兄の弔辞が終わって、用意していた紙を封筒から取り出す。一歩進んでマイクの前に立つも、昨晩練習した時みたいに変な声が出そうな気がした。視線を上げて息を吸ってみる。弔辞の出だしに目を向ける。用意された言葉を音にすると、結局変な高い声になってしまい、自分の声で泣きそうになるのをこらえながら読んだ。

火葬場の待合室にて

葬式が終わると、位牌を持った父と一緒に遺影を持って霊柩車に乗った。初めての霊柩車の中では、弔辞を読んだ後の疲労で軽い放心状態だった。

火葬場の待合室で祖母の火葬を待っていると、名前の分からない親戚に弔辞よかったよと褒められた。親戚の間では孫が弔辞を読むこと自体珍しかったようで、涙を誘ったとのこと。祖母との個人的な思い出話ではあったが、祖母を思って涙を流してくれたのであれば、弔辞を読む役割を果たせたのかもしれない。

誰かに向けて言葉を贈ること

文通のように個人に向けて書くのと違って、誰かに向けて書いた言葉を人前で読むにはどんな言葉を書くべきか、迷いながら考えた。誰かを傷つけるような言葉を書いていないか、伝えたいことが伝わらない文章になっていないか。祖母に読む最後の手紙だからこそ、その場にふさわしくない言葉を並べたくはない。頭を悩ませたが、結局は祖母が喜んでくれることが1番大切で、そのために必要な言葉を選んで並べた。

弔辞とキャッチコピー、そしてこのブログも、目的や形式はそれぞれ違うものだが、伝えたい相手の喜ぶ顔を思って言葉を書くことには変わりない。その気持ちを、祖母の葬儀の記憶と一緒に覚えておこうと思う。

 

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訃報が届いた日に送るはずだった手紙