藻のお暇

アラサー無職の日常

清竜人の『痛いよ』に心酔していた頃は本当に痛い人間だった――映画『花束みたいな恋をした』を見て――

  こんにちは。先日、映画『花束みたいな恋をした』を見てきました。長いタイトルになってしまいましたが、映画を見た感想を、過去の経験を交えて書いてみたいと思います。

 ※本記事はネタバレを含みます。また、1回のみの鑑賞のため、誤った情報が含まれている可能性があります。予めご了承ください。

 

映画を見たきっかけ

 映画は1月29日に公開となった映画で、公開前に友人が見たいと言っていたことから気になっていました。

 映画の予告を見る限りは、菅田将暉さんと有村架純さんという爽やかな俳優さんが演じられるということで、よくある綺麗な恋愛映画かと思っていました。そのため、劇場に足を運ぶまでは惹かれず、プライムビデオで配信されたら見ようと思っていました。

 そんな中、テレビで映画のインスパイアソングであるAwesome City Clubさんの『勿忘(わすれな)』が流れていたのを聞いて、とてもいい曲だったことと、曲のタイトルから「わすれたらいけないよ/わすれなよ」といった相反する意味を含んでいるようなところが気になったことから、映画の内容がいよいよ気になって仕方なくなりました。1月に上映が始まったため、既に上映は終了しているかと思いましたが、ラストラン上映中だったため、滑り込む形で映画館に足を運びました。

 

▼『花束みたいな恋をした』予告

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Awesome City Clubさんの『勿忘(わすれな)』

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映画の感想と過去の痛い経験

 映画の序盤で感じたことは、予想とは違って少し痛い人物設定だな...ということでした。

 主人公の麦(菅田将暉さん)と絹(有村架純さん)は、たまたま同じ駅の同じ終電を逃したことで出会います。朝まで時間を潰すために行ったお店で話す内に、お互いにサブカルチャー好きだと知り、話が盛り上がります。好きなものがびっくりするくらい自分と一緒で、そんな人と思わぬ事で出会い、恋をする。運命的な出会いとして憧れを感じる人も多いのではという設定でした。

 そんな運命的な出会いをした2人ですが、サブカルチャーが好きな一方、メジャーな作品が好きな人を見下す態度をとる人間であることが描かれていました。そんな2人の様子からは、人と少し違うものが好きであることに自分が自分であることの証明を頼っているような印象を受けました。サブカルチャーが好きだということも本当だとは思いますが、自分と違う人のことを肯定する余裕のなさも同時に表現されている感じました。そのような、個性に対して確固たる自信のない2人だったからこそ、よき理解者として特別だと思いあっていたのかもしれません。
 そのような印象を受けて、自分にも心当たりがないとは言えないと、映画を見ながら苦い思いを感じていました。自分も麦と絹と同じ大学生の頃までは、人と違うことを強調することでしか自己表現ができなかったところがありましたし、少しマシになっただけで、今もそういった部分は残っていると、恥ずかしながらそう思います。

 また2人が就職をきっかけに趣味への向き合い方に変化が起きると、仲の良かった関係がだんだんと壊れていきます。麦が仕事に追われてサブカルチャーから離れていく中、絹は変わらず好きなことだけやっていたいという気持ちから、趣味を活かせる仕事に転職します。考えの違いをお互いに受け入れることができずぶつかり合う様子から、同じであること、共通点があることだけでしかつながれない自分自身への自信のなさを感じて、自分もそうだったなと羞恥心を煽られました...。

 2015年に同じ趣味を持っていることから恋人になったこと、大学卒業が2016年だったことが、自分の過去の恋愛と同じであったことから、私に向けられた映画なのか...?と錯覚し、恥ずかしさに打ちひしがれながら映画を見ました。スクリーンで繰り広げられる映像がまるで自分の走馬灯のようで、目が離せないままあっというまに上映が終わってしまいました。映画のエンドロールがポップであっさりとしていたことと対照的に、映画と自分の過去との境目が曖昧になった何とも言えない晴れない気持ちを抱えて、映画館を後にしました。

 この記事を書きながら映画について振り返ると、作家さんや作品名など固有名詞が沢山出てくることや、状況説明が想像のヒントを与える程度に抑えられていたことから、人物像や各シーンに込められた意図を考えながら見たい映画だなと思いました。特に主人公2人の設定は、菅田将暉さんと有村架純さんという美男美女のビジュアルを抜きにしてみた時に、少し痛いところのあるキャラクターとして設定されていると感じたため、より人物像の解像度を上げてみたいと思いました。

 また、主人公2人が作中で様々な趣味を共有していたように、自分にも痛かったあの頃に聞いていた音楽があったことを思い出しました。この映画と合わせてあの頃を振り返る材料として、そっと覚書をしておこうと思います。

 

▼記事タイトルにつけた、清竜人さんの『痛いよ』

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 この歌詞に共感し、自分の曲だと思っていた時期がありました。今は、あの時の自分に戻ってはいけないというモニュメントの1つになっています。改めて聞くと、過去の自分の痛さが思い出されて赤面必至です...。

 

▼つづいても、清竜人さんの『ヘルプミーヘルプミーヘルプミー』

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 この曲を聞いて、何も大変なことは起きていないのに何か大変なことが起きている気持ちに浸っていたような気がします。悲劇のヒロインを演じていたかったのか。私にとっては痛さの象徴のような曲です。当時は当時で、何かしらのもどかしさを感じていたのかもしれませんが、今となっては思い出せません。忘れてしまうことはある意味救いだと思わせてくれる曲でもあります。

 

▼当時付き合っていた相手が好きだった、チャットモンチーの『染まるよ』

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 この曲が好きだといった彼は過去にどんな経験をしたのだろう。この曲が好きだと知った時に感じた切なささえも、相手への恋心と錯覚していた気がします...。痛い...。

 

▼これぞ黒歴史ソング...、クリープハイプさんの『HE IS MINE』

 この曲を、別れ話をした後にカラオケに行って、本人の前で歌い上げるという、思い返してもまったく救いようのない痛さを抱えた人間であったことがお分かり頂ける曲です...。どちらから別れ話を切り出したか、どこのカラオケ屋だったか全く思い出せませんが、歌った時の自暴自棄な気持ちは、肌が粟立つほどの臨場感を持って、今も残っています...。あまりにも痛い過去なので、動画を貼り付けることは控えておこうと思います...。

 

▼最後に、劇中の2人がカラオケで歌うきのこ帝国さんの『クロノスタシス

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 2020年の麦と絹はこの曲を聴いて、どんな風に過去を振り返るのでしょうか?私と同じように自分の痛さに打ちひしがれるのか、それとも美しい思い出として思い返すのか、気になるところです。

 

まとめ

 当時聞いていた曲を思い出している内に、麦と絹よりも自分の方が痛くていたたまれない気持ちになってしまったので、感想はここまでにしたいと思います...。過去に好きだった作品は、当時の記憶装置として、私たちを過去に連れ戻します。この『花束みたいな恋をした』も、とある2人の過去の恋愛を映し出すことで、見た人を物語や見た人自身の過去に連れ戻す、そんな作品だと感じました。また、このことを踏まえて『勿忘』という曲を振り返ると、曲のタイトルから感じる「わすれたらいけないよ/わすれなよ」という2つの感情表現は、どちらの意味にしろ忘れがたい「花束みたいに大切な恋だった」ことを伝えたい作品なのかなと感じました。

 この記事を読んでご興味を持たれた方は、ラストラン上映中のこのチャンスに劇場に見に行かれることをお勧めしたいと思います。

 以上、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

 

▶お近くの上映情報:花束みたいな恋をした 劇場情報

 

おまけ

 今回行った映画館は、サロンシネマ1・2さんです。劇場の入り口から映画を見たくさせるような外観で、以前から気になっていました。

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興味を惹かれる外観 映画館のロビーは8Fです

 ロビーにも、様々な映画作品のイラストが描かれています。

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≪真ん中のチケット売り場を中心とした円状のロビー≫

 座席に畳席があるなど、映画だけでなく映画館自体も楽しめる、そんな素敵な場所でした。

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掘りごたつ式の畳席 靴を脱いで上がります

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畳席は最後部の1列のみ 他はふかふかそうなゆったりとした広さの座席です

 ロビーには「純喫茶PEARL」さんという喫茶店も併設されていたようなので、次回はそちらも利用してみたいと思います。